新しい学校教育相談の在り方と進め方

 はじめに

 教育相談に対する思い

 教師になった年,たまたま教育相談係となり,それから私の教育相談との関わりが始まりました。当初は,たまたま請け負った分掌の仕事にすぎなかったわけですが,自分なりにカウンセリングを学び,その中で『ここに教育を質的に変革するための何かがある』という感覚をもつようになり,その何かに惹きつけられて,気がついたら,今日まで教育相談にかかわり続けてきました。
 教育相談に取り組み始めた当時は,校内暴力の嵐がまだおさまっていない時期で,教育相談あるいは教育相談担当者に対して,あからさまな攻撃を仕掛けてくる先生方も少なからずおりました。そうした中で私の心の中にあった思いは、『教育相談に否定的な先生もいるけれど,教育相談の必要性はまちがいない。アンチ教育相談の先生方だって,価値観でガチガチに固まった一部の先生を除けば,ほとんどの先生は何となくは教育相談の必要性を認識している。それでも否定的だったり消極的だったりするのは,その先生方の問題というよりも,現状の教育相談が学校教育のなかにうまく位置付くものになっていないことに問題があるんじゃないだろうか。必要なのは、学校教育にしっかりと位置付く教育相談をうみだすことだ。そうしなければ,アンチ教育相談の先生方を取り込むことはできないし,取り込めなければ教育相談は学校教育に根付かない。もし学校教育の中に教育相談がきちんと位置付くことがなければ、おそらく教育は子供たちから遊離してしまう。それは子供たちにとっても不幸なことだし、教育も信頼を失うことになる。』というものでした。
こうした思いを持ちながら教育相談係として2校で十数年,活動をしてきました。その中で,理想的な形とはとても言えませんが,同じ志をもつ先生方とともに教育相談活動を立ち上げ,活動をしてきました。私も20代,30代の時期ですから,振り返ってみると,ほとんど勢いに任せて思いついたことをやってきたという十数年でした。

 近年,いろいろなところに呼ばれることが多くなり,それにともなっていろいろな質問を受けるようになりました。その中で非常に多い質問が,『教育相談が大切なのはよくわかるし,だからこそ相談係として何とか教育相談を定着させたいと思って活動しているのだが,どうもうまくいかない。どうすればいいのか』という質問や,『相談係になったのだが,何をやればいいのか見当がつかない。まず何からはじめればいいのか』という質問でした。
 実は,この問いは私自身が相談係として十数年間ずっと抱き続けてきた問いでもありました。この本は,こうした問いを抱きながら実践をしてきた私が実際にやってきたこと,あるいは,『こんなふうにしてみたら,こんなふうに考えてみたら,ひょっとしたら今までとはちょっと違った展開が起こるかもしれない』と思っていることをまとめたものです。
 教育相談は,数値で見えるような結果が出にくい教育活動ですし,華々しいものではありません。しかし,私と同じような問題意識をもちながら,ほとんど報われることのない(ホント,報われないですよね。かえって迷惑がられたりして)実践を地道になさっている先生方の応援になればと思って書いてみました。

 私と学校教育相談

 まずは私が何を考えながら学校教育相談に取り組んできたのか,どのような学校教育相談を創造しようとしてきたのかを,かいつまんでご紹介します。

 私が教師になった1980年代には,「教育相談の専門家」と同僚からみなされている人が不登校などの難しい生徒を請け負って個人カウンセリングをするという「ミニクリニックモデル」とも言うべき個人面接中心の教育相談が主流でした。ただ実際には,係は一応いるが開店休業状態だったり,何もしていないという学校が7,8割を占めていました。活動している場合でも,学校全体が組織的に動くような活動をしているケースはほとんどなく,個人営業の「ミニクリニック」が学校の片隅で開設されているといった形態のものがほとんどでした。
 当時は,「教育相談は生徒を甘やかす」「教育相談は学校教育にとって有害」というかなり否定的な考え方がかなり支配的だった時代でした。実際,私の周囲の先生方のなかにもそういう方々がいらっしゃいましたし,そこまで否定的ではなくても,教育相談は「熱心な先生がいるときだけのボランティア活動」「あってもいいが、なくても困らない活動」というとらえ方が一般的だったように思います。教育相談室は学校の建物の中にあっても、学校教育の中にあるという感じではありませんでした。
 私自身,常勤講師として学校に入ってはじめて教育相談に触れたときの感想は,『へえ,教育相談っていう活動もあるんだ。教師でもカウンセリングとかいうものをやる人もいるんだ。でもそんなことでどうにかなるのかなあ?』といった程度のもので,その必要性を感じることはまったくありませんでした。
 翌年,教師として正式に採用されることになったのですが,“体育会系で体の大きい”私は生徒指導をバリバリやることを期待(?)されて管理職から生徒指導部に所属するように言われました。そしてその生徒指導部の年度当初の会議で,新任の私は,やり手のいなかった落とし物係と教育相談係を引き受けることとなったのです。ただ,落とし物係の仕事は何となくはわかるのですが,相談係の仕事はさっぱりわかりません。同じ会議の席にいた先輩の教師にこっそり聞いたところ,「年に1,2回出張があるから,それに行けばいいんだよ」と言われ,釈然としないままに,『そんなものなのかなぁ』と思ったのを憶えています。教育相談もカウンセリングも,また教育学部卒ではなかったので,実は教育もまったく知らなかった私が,このようにして教育相談と関わるようになったわけです。

 右も左もわからない状態で係になったのですが,さいわい私の勤務校には教育相談に造詣の深い先生がいらっしゃり,教育相談の基本,生徒理解の重要性,カウンセリング技法や理論などを学ぶことができました。そして教育相談に関心を持つ仲間たちと手探りで相談活動を始めていったわけです。ただ,活動をしながらも教育相談係の仕事は何なのかということについては,どうしてもその輪郭がつかめないままでいました。
 その後数年間,私は,「教育相談とは何なのか」という問いに対する答えを求めて,教育センターの研修会や民間の研修会を探してはジプシーのように歩き回っていました。そんな中で徐々にわかってきたことは,『教育相談やカウンセリングの技法を知っている人はたくさんいるし,達人も少なくない。でも,学校でどのように教育相談をやっていったらいいかを具体的にちゃんとわかって実践している人はどうやらあまりいないらしい』ということでした。
 また,これまでの学校教育相談の在り方についても疑問を抱くようになっていきました。その疑問とは、『教師は心理の専門家ではないし、個人面接中心のクリニックスタイルの活動には無理がある。それに学校は治療機関ではなく教育機関だから、援助と教育の原理に基づく学校独自の治療的活動を作っていかなければ、恐らく教育相談はいつまでも学校教育の中に根付かないだろう。またたとえ個人的に優れた力量の人がいても、過度に個人的力量に依存した活動では、それこそ転勤したら消滅してしまう。それでは学校としての教育相談活動とは言えない。さらに援助ニーズはすべての生徒にある以上、教育相談は一部の教師による一部の生徒のためのものにとどまっていてはならないはずだ。どうしたらすべての教師によるすべての生徒のための教育相談活動を展開することができるか。それを考え、実行に移すことが教育相談係の本来の役割であるはずだ』というものでした。これは十年を経た現在も基本的には変わっていません。

 このようなわけで,私の教育相談係としての実践は,ミニクリニックモデルではない学校教育相談像を模索することから始まりました。活動の方向性としては,治療的というよりは開発的予防的,個別対応型というよりは集団教育型,密室型というよりは開放型,個人プレー型というよりは組織的対応型,請負型というよりはチームによる役割分担型,待つ教育相談というよりは打って出ていく教育相談を模索していきました。
 ただ,こうした活動を「教育相談部の活動」と考える発想は,当時は教育相談に関わっている先生方の間でも共通認識になってはいませんでしたし、ましてや一般の先生方の教育相談観とはまったく異なっていました。また私たち自身も具体的な方法論をもっているわけではありませんでしたので,考えを具現化していくためには、目の前に現れる具体的課題に取り組む中で戦略をねり、理論付け、実践的に解決していくという方法しかありませんでした。

 誤解のないようにあえて書いておきますが,私たちはそれまでの学校教育相談を否定するという発想に立って活動をしてきたのではありません。私も体験がありますが、先に述べたように,ほんの十年前にはあからさまに教育相談に敵意を向ける教師もかなりいましたし、教育相談の必要性を否定する発言も少なくありませんでした。そのような逆風の中で学校規模での活動が困難なのは当然ですし、むしろその中でも一人ひとりのニーズに丁寧に応えていく教育相談活動を展開し,教育相談の灯を絶やさなかったことに先輩方の教育相談にかける思いを見るような気がします。そしてそのような地道な実践が今日の教育相談の必要性の認識の下地になっていることは疑うべくもありません。
 しかし、残念ながらその実践は、「熱心な先生がいるときだけのボランティア活動」「あっても良いが、なくても困らない活動」と捉えられていたこともやはり事実であると思います。私たちがめざしたのは,一人ひとりの個別の相談に応じるという教育相談の核とも言える活動を一つの基盤としながらも,それを越えて,相談係が積極的に生徒たち一人一人の援助ニーズをさぐり、個人あるいは集団のためのプログラムを作り、その実行のためのチームやシステムを作り、こちらから介入するというアプローチです。そのようなアプローチこそ、優れて教育的であり、学校教育相談ならではの活動だと思います。そしてこのような活動が定着したとき、教育相談は『あった方がいいが、なくてもこまらない教育相談』の域を脱して『学校教育になくてはならない教育相談』へと脱皮するのではないか,そしてそのような教育相談活動を創造していくことが教育相談係の仕事ではないかと考えるようになっていったのです。

 本書の目的と構成

 本書の目的は,「学校教育相談が学校でうまく機能させるには,現実的に,あるいは実践的にどのように考え,何をしたらいいのか」という問いに,理論的,実践的にせまろうということです。

 第1章では,「学校教育相談の基本的な考え方」について触れました。いくら実践的とは言っても,方向性もはっきりしないままに走り出しては,どこに行ってしまうかわかりません。教育相談をどのように私が考えているか,その大枠を示してみました。
 第2章では,「学校教育相談の輪郭」です。第3章で学校教育相談の具体的な活動を細かくみる前に,その全体像ををつかんでおこうということです。
 第3章は,「教育相談活動の実際−私たちの実践から」と題して,学校教育相談の実践について具体的なノウハウを含めて書いてみました。本書の中核となる部分です。
 第4章は「学校教育相談の過去・現在・未来」と題して,学校教育相談を歴史的に分析し,将来を展望してみました。自分自身がどのような立場にあるのかを知るとき,自分のなすべき行動が見えてきます。この章は私たち学校教育相談に携わる者が,歴史的にどのような課題を追ってこの21世紀初頭にいるのかを考えてみました。

 さて,この本は実践を元に書かれていると述べました。現在,私が勤務している学校は,首都圏郊外に位置する学級数24,生徒数約900名,教職員数50名ほどの普通科高校です。10年ほど前は30学級で生徒数は1350名を越える大規模校でした。前任校も同様の規模の学校で,このような学校での実践を元に書いていますので,書かれていることの中には,地方の学校だったり,小規模校だったり,校種が違ったりすれば当てはまらないところも当然多々あるかと思います。こうした学校のこともなるべくカバーしたいとは考えながら書いてはいますが,それにしても私の守備範囲を超えてしまいます。また,この本を読まれる方の中にはスクールカウンセラーの方や心の教室相談員の方もいらっしゃると思いますが,そうした方々の活動についても,私の見識は各種の研修会でご一緒した方々の実践を教えていただいているレベルであって,十分ではありません。ですから,そうした場合には,『私の学校には,私の立場ではどのように応用できるだろうか』という視点を持ちながら読んでいただけると助かります。
 また,当然のことですが,私たちの実践がしっかりと定着して揺るぎのないものになっているというわけでも,非の打ち所のない実践であるというわけでもありません。今も直面する課題に対して試行錯誤をくり返しながら奮闘努力している真っ最中です。ですからこの本の中には,実際にはできていないことでも『理想的にはこうやればよい』『こんなふうにやったらきっとうまくいく』という視点で書かれていることも少なからず出ていることもご承知置きください。
 

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