先生のための やさしい教師学による対応法 生徒への対応が楽になる

 おわりに

 本書を書き終えることになった日の朝、「若者たちの見せる心のひずみは、行き着くところの見えない深刻な状況を呈しており、社会全体に重苦しい不安を増幅させています。放っておけば、いくらでも心がひずみを見せる時代にあって、『心の健康』をどうやって維持していくのかという課題は、医学的な認識と対応だけでは達成できない課題になってきています。医療の視点・福祉の視点・教育の視点さらには地域社会や労働の視点・家族の視点など、さまざまな角度から声をあげていくことが必要です。」という小文(日本精神衛生学会ニユースレター・高塚雄介氏)に出会いました。確かにそうしたことが言えそうです。
 教師学は、教師と生徒が心を開き合える関係をつくりあげるための態度と技法という実践論ですから、時宜を得たものと思います。「教師学での対応法」と題して具体的にまとめてみて、その態度と技法については歓迎されるものになるだろうと、あらためて確信に近いものを感じています。
 教師学のアプローチ=教師学マインドを知った教師は、きっと生徒への積極的なかかわりをすることでしょう。教師と生徒が互いの人格と人権を尊重しあう民主的な学校、学校構成員の誰もが居場所と思えるような学校がつくられることを願うところです。
 また、教育の三分野である学校・家庭・地域の連携が提唱されていても、その推進を誰がするのかはっきりしません。私は学校から働きかけるしかないのだろうと思っていますが、その時には「能動的な聞き方」と「わたしメッセージ」によるコミュニケーション力が不可欠だろうとも思っています。教師学をされた方が三者のブリッジ役として活躍していただけたらと、これも願うところです。
 本書で、初めて教師学にふれられた方は、ぜひ実践をしてみていただきたいと思います。実際に声に出してみると、考えていることとは違うことをしていたり、こんなはずではないと思われることがあることでしょうが、あきらめずに「ここ」という時に意識してやってみて下さい。
 もう、おわかりかもしれませんが、教師学の態度と技法はさして目新しいことではありません。ふりかえってみれば、現場のどこかで経験されていることなのではないかと思います。私たちは出来ないことを要求されたり、講義されたりしても意味がありません。すでに、あなたが出来ることを、意識してやってみていただくだけのことです。きっと手ごたえがあるはずです。
 まず、やりやすい相手から、というのも一方法です。
 生徒を叱って、自分が指導した内容は間違えていないと思うのに、なぜかすっ
きりしなかったら、「わたしメッセージ」を使っていただろうか、「能動的な聞き方」に「きりかえ」ていただろうかとふりかえってみて下さい。そんな時には「わたしメッセージ」を書いて、幾度でもつくりなおして、簡潔にして、もう一度その生徒を呼んで聞いてみて下さい。 

 「昨日のこと、今はどう思っている?」
 「別に。わかりましたから、大丈夫です」
 「そう。私が言いっ放しで終わってしまい、君はどんなふうに思ったのかを聞かなかったことが気になったんだ。大丈夫なんだね」
 「はい」
 「じゃ、安心したよ」

 というようなことになります。場合によっては「わかってほしかったのは〜なんだよ」と付け加えることもあるでしょう。
 私も、そうした関係修復をくりかえし、くりかえしやっています。そして、手ごたえを感じることが多くなってきました。

 私が教師学基礎講座・教師学一般講座・教師学上級講座を通して出会った方は全国で七五〇人を越えています。他のインストラクターの講座に参加された方たちを合わせると多くの教師学の仲間がおられます。  
教師学の仲間が増えていくことで、教師も生徒も解放されて、人として出会うことの中で互いに成長していけるようでありたいと切望しています。
 いつか、どこかであなたとお会い出来たらと願っています。


 二〇〇〇年九月
                              高野利雄

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