不登校・引きこもりの日常 親の疑問に答える

 おわりに−登校拒否・不登校児を持つ親の会とともに

 登校拒否・不登校の子どもを持つ親たちの悩みはいつの時代でも深刻です。
 義務教育が全国くまなく行き届いている日本の社会では、学校へ行かないことは特別視されます。学校へ行きたくても行けない状況がある子どもでさえも、「怠け者」扱いされてしまいます。
 子どもばかりではありません。親までもが「ダメな親」という烙印を押されてしまいがちです。「しつけが悪かった」「教育がなっていない」「甘やかしたからいけない」等 々、批判の言葉は後を絶ちません。
 一九七二年以来、登校拒否・不登校の子どもたちと生活体験をともにしてきた私(高橋良臣)は、生活体験をともにした子どもが自宅に帰るときに、帰ってきた後の、子どもの受け入れについての話を親たちにしてきました。
 私のところへくるまでの家庭での出来事や、親子関係を振り返ると、親の中には「子どもをどのように受け入れたらよいかわからない」という親が多かったからです。
 親の合宿もしました。講演会もしました。
 一九七六年二月に、北国に住む母親が、登校拒否・不登校の子どものことで、周囲の人たちから責められて、自殺をしました。
 「おまえが子どもをダメにした」とは父親の言葉です。「母親がしっかりしていないから子どもが学校へ来ない」は教師の責め言葉でした。「甘やかしたからこうなったのだ」というのは、実家の母親(子どもの祖母)の言葉でした。これらのことは後に母親の日記の写しを父親から贈られて知りました。「せめて、ワシらのような家族が減るようにしてやってください」と手紙にはありました。
 親の会は、それから五年ほど経ってから私が始めました。当初は親たちの自助グループで実施してもらうつもりでした。しかし、子どもが元気になると親の会に参加しなくなる親が多く、親の会を継続していくことが困難になりました。また、親の中には商売として親の会を利用しようという人もいました。
 そこで、私が「顧問」とか「世話役」とか「主宰者」という名目で今日まで実施してきました。そして、現在は私がテーマを決めて、親の会を実施しています。
 東京の親の会の場合、講師は私の他に、岩佐壽夫先生、平木典子先生、杉浦京子先生、佐藤誠先生、福山清藏先生、佐藤悦子先生、亀口憲治先生らにお願いしてきました。大阪の親の会は、同じく私の他には、森田喜治先生、高橋哲先生に毎月一回、常任講師としてお願いし、浜松の親の会では地元の大嶋正浩先生、岩佐壽夫先生、高橋哲先生、森田喜治先生らにお願いしてきました。高松の親の会はほとんど私ひとりが講師をしています。
 これらの講師の他に、それぞれの地域で、登校拒否・不登校を体験された方たちにも協力していただきました。そのご家族にも講師として参加していただきました。
 また、メンタルフレンドとして活躍した青年たちにも講師をお願いしました。
 この本は、このような親の会で出された質問をまとめたものです。
 森田喜治先生が書かれた部分(第3章)は、近畿親の会で出された質問が中心です。私が書いた部分は、私がかかわってきた親の会で出された質問が中心です。
 本来なら、親の会にかかわってくださった先生方の質疑応答も載せるべきですが、なにぶんにもご多忙な先生方ですから、執筆をお願いできませんでした。
 森田先生や私が暇だというわけではありませんが、幸い二人ともにやや睡眠障害的な状態にあり、原稿を書く時間がとれたというわけです。この原稿は早朝、深夜に書かれた原稿です。
 この本の出版に当たりまして、ほんの森出版の佐藤敏氏には大変にお世話になりまし た。ありがとうございました。これからも親の会を継続していく勇気を与えていただきました。
 それから、読者の皆様には、ここに書かれた質疑応答が回答のすべてではないということをぜひ申し上げておきたいと思います。すべての回答は、「かかわっていく」だけなのです。福山清藏先生の言葉を借りれば、「動詞型であって名詞型ではない」のです。そこのところをぜひご理解いただき、できれば、どうか直接親の会へ御参加ください。あるいは直接、個人面接や家族面接にお出かけください。お待ちしています。
 登校拒否・不登校は「こわくない」のです。恐れるほどのものではないのです。それは子どもを観ていればわかります。こわいのは、子どもを観ようともしない人々の思い込みや、見当違いな評論家の類いの人々の発言です。
 どうか希望を持って子どもとかかわり続けてください。

 二〇〇〇年一〇月
                              高橋 良臣

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